暖簾の起源から現在に至るまでの歴史をご紹介
皆さんは、暖簾と聞いてどのような使い方をイメージされるでしょうか?
お店の入り口に掛ける看板として、または、家のインテリア、日除け、間仕切り、さらには贈り物としての楽屋のれんなど様々な使い方をイメージされる方も少なくないのではないでしょうか。
答えは勿論全て正解です。
暖簾は日本固有の文化であり、使い方が多岐に渡るほど生活に溶け込んできたものと言えます。特に「暖簾をあげる」「暖簾を守る」「暖簾にかかわる」といった商家の浮き沈みを表す言葉からは看板や広告媒体として広まった日本独自の伝統が感じられ、それは今もなお日本の魅力のひとつとして進化しています。
美しい暖簾が掛けられたお店や宿泊施設を見ると何処と無く、良い雰囲気を感じ、期待感が高まるという方も多いのではないでしょうか?それだけ、我々の意識の中に良き文化として浸透しているのかもしれません。
では、暖簾はいったいいつ頃から、どのように使われ始めたのでしょうか?
暖簾の歴史と変遷を見ていきましょう。
暖簾の発祥は平安時代?
平安時代末期の絵巻物や絵画にはすでに庶民の家の軒先に暖簾が掛けられた様子が描かれているそうです。この頃の、日差しを除ける、風を除ける、塵を除ける、人目を除けるなどを目的として家の開放部に張られたことが暖簾の始まりと言われています。
暖簾の用途が広がった鎌倉時代
さらに鎌倉時代前期には、壁代、帳、几帳など、布による室内調度品が数多く登場します。特に間仕切りと装飾を兼ねた几帳は、現在も老舗の料亭などで見ることが出来ます。また、北陸地方に伝わる花嫁のれんには、松竹梅や鶴亀などの図柄が描かれており、それは几帳を模したのか、暖簾が几帳に変化していったのかわかりませんが、いずれにしてもその頃から暖簾は室内における仕切り、目隠しを目的としたインテリアになっていました。
商売を象徴する言葉になった暖簾
また、暖簾が無地から商家の商標や紋が描かれるようになったのも鎌倉時代のことで、
色無地の暖簾に初めて各々の家の目印として模様が入り、特に商人たちは、これほど目標、指標として適切なものはないとしてこぞって暖簾に図柄を入れました。
室町時代になると、屋号、業種を知らせるメディアとして暖簾が商家に欠かせなくなったのは模様入りの出現によるといっても過言ではありません。
さらに江戸時代初めには文字を書くことで広告媒体として使用されるようになったとされています。
屋号や商標、図案化した商品などを染め抜いた暖簾は店の顔であり、営業上の信用、権利を意味する言葉として使われるようになりました。江戸時代は暖簾を誇り大切に考えられてきたとされ、その伝統は今も日本の良い意味での文化として根付いています。
今日までいずれの時代も人々に大切なものとして扱われて来たからこそ、文化として受け継がれているのだと思います。
現在、暖簾を掛けることをお考えであれば、思いのこもった良いものを永く大切に使われることを願っています。
また、暖簾に関するお悩みがある場合は、京都の老舗、加藤健旗店までお問い合わせください。暖簾のプロとして丁寧にアドバイスをさせて頂きます。
加藤健旗店HP